2008 |
10,18 |
2008 |
10,16 |
«待ってろドクタ»
2008 |
10,16 |
«水巻»
2008 |
10,15 |
2008 |
10,11 |
目が覚めたら頭の中で、カジヒデキの「Towns and Streets」の曲が流れていて、
出たのがちょうど去年のいまごろの季節だから、そんな気分なのだろう、
あるいは、そういうにおいがしているのだろう。
音楽を聞いていると、必ずその聞いている時期の空気やにおい、感覚が付着して、
しばらくしてから聞き返すと再びそれが感じられる。
以前はそれは、音楽を音楽としてそのまま受け入れるためには、
ちょっと邪魔になるものだと思っていた。
どうしようもなく、主観的に感動してしまうのは、
音楽自体を感じることにはなっていないんじゃないかと思って。
だからみんなフラットになれば良いと思った。
いま思えば、音楽にささげるライフ。
最近は、そうやって自分で付着させた感覚も、ひとつの味だと思っている。
そういう感覚をつくっていくことによって、
音楽を通じて記憶していくことによって、
毎日が、自分の過去が立体的になってゆく。
そのほうが、ちゃんと生きている感じがする。生のドライブを感じることができる。
それも必要なことなのだろう。
生活のための、音楽。
自分の生の感覚は、ほかの人と共有することができない。
さびしいことだ。
どんなに説明しても、筆を尽くしても、それはむずかしい。
それでも、音楽は、一緒に聞くことくらいは、できる。
たとえ違うことを思っていても、それは事実。
出たのがちょうど去年のいまごろの季節だから、そんな気分なのだろう、
あるいは、そういうにおいがしているのだろう。
音楽を聞いていると、必ずその聞いている時期の空気やにおい、感覚が付着して、
しばらくしてから聞き返すと再びそれが感じられる。
以前はそれは、音楽を音楽としてそのまま受け入れるためには、
ちょっと邪魔になるものだと思っていた。
どうしようもなく、主観的に感動してしまうのは、
音楽自体を感じることにはなっていないんじゃないかと思って。
だからみんなフラットになれば良いと思った。
いま思えば、音楽にささげるライフ。
最近は、そうやって自分で付着させた感覚も、ひとつの味だと思っている。
そういう感覚をつくっていくことによって、
音楽を通じて記憶していくことによって、
毎日が、自分の過去が立体的になってゆく。
そのほうが、ちゃんと生きている感じがする。生のドライブを感じることができる。
それも必要なことなのだろう。
生活のための、音楽。
自分の生の感覚は、ほかの人と共有することができない。
さびしいことだ。
どんなに説明しても、筆を尽くしても、それはむずかしい。
それでも、音楽は、一緒に聞くことくらいは、できる。
たとえ違うことを思っていても、それは事実。
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